リチャードジュエル
原題:RICHARD JEWELL
監督:クリントイーストウッド
出演者:ポール・ウォルター・ハウザー、サム・ロックウェル
上映時間:131分
〜人は見た目できまってしまうのか〜
1996年アトランタのライブ会場で警備員をしていたリチャードジュエルは不審なカバンを発見する。
その中身を不審に思ったリチャードは周りを避難させ、爆発による被害を防ぐ。
一時は英雄のように扱わていたが次第に新聞社とテレビ局が犯人のように扱いだし、ついにFBIも疑いだし…
以降一部ネタバレあり
イーストウッドの作風
「アメリカンスナイパー」、「運び屋」のクリント・イーストウッドによる記念すべき40本目の作品。
イーストウッドといえば西部劇やダークヒーロー的警官などの架空のヒーローのイメージが強いが、最近では実話が多く、一般人の中のヒーローが多くなっている。
これはヒーローは身の回りにいるとともに、そのヒーローの裏には隠れた真実と理不尽さがあると感じる。
リチャードの性格
今作のリチャード・ジュエルはまさに今までの作品の中でもそのメッセージ性を感じる。
リチャードは警官を目指し、一途にその仕事が素晴らしい仕事と信じる男だが、そんな彼にFBIは見た目が太っており親と同棲し、警官を目指す異常者とプロファイリング、記者は彼を爆弾魔と書き、世間の非難を受ける。
しかしそんな状況においても、馬鹿正直といえるほどに彼らのことを信じ、語尾にはサーとつけるほど自分の信じたものは正しいと思っている。
フィクションとの比較
母子家庭で親と同居、今の仕事に不満があり夢見ている仕事を一途にしんじている。
これはある意味では「ジョーカー」のアーサーと状況が似ているのでFBIのプロファイリングで疑うこと自体はおかしくはないが、リチャードにたいしてのミランダ警告を無視した内容でサインをさせたり、ビデオ撮影はあまりにも理不尽である。
リチャードの信念
その理不尽の中でもリチャードは彼の無実を信じながら懸命に無実を調べてマスコミにも対抗する弁護士の言葉よりもFBIの言うことを一途に聞くのを見て苛立ちを覚えるが、リチャードが最後FBIに向けて、「証拠があるのか?僕のような事案を残してしまったら、誰も人を助けなくなってしまう」のセリフに自分が感じていた苛立ちはこの物語でのFBIの行動は異常で信じられなかったことでリチャード自身は最後のギリギリまでFBIや警察は目指すべき素晴らしい職業だと信じ続けたからこそのセリフであり、リチャードの正義感の集大成でもあるようなセリフで熱くなった。
全体を通して
イーストウッドの映画では登場人物が叫んだり、怒鳴ったりするシーンはなく、この映画も爆弾が爆発するシーン以外は静かに物語が進んでいく全体的に静かな映画だが胸に深く刻まれるような熱さと臨場感がある。
ラストで犯人が見つかり、リチャードの無実が完全に証明されるが、リチャードが45歳の若さで亡くなってしまう終わりも現実ならではの理不尽がある。